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劇場版 『機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』

こないだの週末、ヨドバシにトップコートを買いに行ったらプラモ売り場にカップルの姿がチラホラ。
レジの列で前に並んだカップルはクアンタとハルートのHGを買っていたので、映画帰りに買いに来たんだろうなぁと予測。

しかしカップルでガンプラって、男か女かどっちが欲しがって買いに来てるんだろう?

まー、どちらが欲しがってるにしても作るのは男なんだろうけど。


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ということで、僕も観て来ました。
「劇場版 機動戦士ガンダム00」

完結編となる劇場版の前に、人類の統一や人間の進化、異星人とのコンタクトまで視野に入れた計画が渦巻く
複雑な物語だったTV版を自分なりに振り返ってみようと思います。

【 TV版のおさらい 】

■ 第一期
第一期は、以前「戦争の物語ではなく政治の物語になっている」と感想を書きました。

紛争に武力介入を行なうことで「紛争撲滅を目指す」という矛盾したテロ行為を行なうソレスタルビーイング。
この矛盾した行為は、「対ソレスタ(略 連合を組むことで各世界勢力が団結する」というソレスタ創設者の爺様の計画だったのでした。

しかしバラバラだったガンダムチームも共通の敵が現れることで団結するんだから、なんとも未熟なチームだったと言わざるを得ない。

結局のところ、全てはソレスタ創設者イオリア・シュヘンベルグの掌の上でした、というお話。
裏切り者にコールドスリープ中のところを撃ち殺されたイオリアですが、もし彼が死なずに現代に復活していたら
第二期、そして劇場版の物語はどういう風に変化したのだろうか、ということを考えてしまいます。


作劇としては、圧倒的な性能で大軍を駆逐してゆくソレスタルビーイングより、
あの手この手を使って強大なガンダムを攻略してゆく敵勢力のほうが魅力的でした。
特にグラハムとサーシェス。グラハムはヒーローとして、サーシェスは悪役として非常に良いキャラしてました。

視聴者が最も感情移入できたのはグラハムで、彼を主人公のように感じていた人も少なくないのではないでしょうか。


■ 第二期
第二期は、一期とうって変わって戦場の物語になっていまし・・・た?

ええと、第一期ラストで新設された地球連邦政府の腐敗と独立治安維持部隊アロウズの暴虐、
そしてイオリアの遺産を掌握して人類を裏から支配しようとする人造人間イノベイドに
すでに役目を終えたはずのソレスタルビーイングが立ち向かう、という第一期よりガンダムらしいお話になっていまし・・・た?

一期と比べて各ガンダムマイスターにスポットがあたる時間が増え、
恋人と添い遂げたり死に別れたり、超人類・イノベイター関連のイベントをこなしていたのは覚えているんですが、
肝心の戦況がどういう風に変化していったのかがイマイチ思い出せない。


とりあえず、ゴロゴロソングがラストバトルを台無しにしてくれたことだけは覚えてます。むしろ忘れられません。


■ そして劇場版へ

そして今回、イオリアが紛争根絶と世界統一を目指した理由である「来るべき対話」がやってきた、
というのが劇場版のあらすじだと思っています(ネタバレ回避のために極力情報をシャットアウトしてました)

しかし、「来るべき“対話”」なのに何故ガンダム持ち出してるんでしょうか?
話す気ないのん?

(以下、ネタバレ全開ですので格納します)
■ ガンダムを使う理由
冒頭で説明してくれました。
近くにいる人間の意識を繋いじゃう、なんちゃらフィールドの展開に特化した“わかりあうためのガンダム”、それが今回の主役機だと。
なるほど、そうきたか。

しかし、個人的にクアンタのデザインは問題があるように感じます。
それはTV版の主役機・ダブルオーより線が少なくシルエットが細く、そのため弱そうに見えるんですよね。
そのため、クアンタは中継ぎで途中退場し、真打ちたるガンダム(それこそTV版で猛威を振るったダブルオーが復活とか)が出てくるのではないか、と思っていました。
まぁ、そんなことは無かったんですが。

しかしダブルオーの扱いの悪さは泣ける・・・。
TV版であれだけ無双の強さを発揮していたというのに、まともに攻撃も出来ず二度もボコられて退場だなんて・・・。



■ 新人類・イノベイターとは?
劇場版では主人公の刹那に限らず、世界中の人間にイノベイターへの覚醒の兆しが見えつつあるとのこと。
して、イノベイターとはなんぞやという解答も提示されました。
曰く、脳量子波を使用でき、身体能力が常人の二倍に上昇、さらに寿命も通常の二倍程度に延びているとのこと。
さらにニュータイプのごとく直感的に物事の本質を理解しうるとまで。

・・・もはや人間か、これ。



■ “来るべき対話”の相手、“ELS”
今回最も気になっていたところ。その正体は触れた相手と融合する金属生命体でした。
脳量子波の強い人間との融合を求めて襲いかかってくるという特性のため、まるで災害パニック映画のように。




■ 各組織の指導者
少し気になった点なのですが、世界政府首相、ソレスタルビーイング(スメラギ)、最終防衛線の司令(カティ)など、
重要かつ有能な指導者は全て女性でしたよね。
だからどうだ、というわけでは無いのですが、まるでシロッコの思想のようだなーと思ったり。

荒熊のような良い親父はTV版で死んじゃってるから仕方ないにしても、
人類滅亡系の映画には熱いオッサンが必要不可欠だと思っている自分には少々欲求不満。



■ ウホッ
オッサンが居ないなら若いヤツらだ。
荒熊亡き後に残された最後の熱血漢、グラハム・エーカー。
お笑いとオチ担当、不死身の男コーラサワー。
そして意外や意外。TV版ではストップ安まで株を下げた小熊、アンドレイ。

この三人が頑張ってくれました。
グラハムの散り様には、もう少し尺と演出を入れて欲しかったところですが・・・。



■ 戦闘シーン
画面の密度はすごいです。凄いんですが、密度が高すぎるのと動きが速すぎるので何が起こっているのか分かりづらくもあります。
失敗してるなーと感じた点は、接触すると融合されるため格闘が行えない点、
そして敵にパイロットが居ないため魂のぶつかり合いを演出できない点でしょうか。

触れない、止まらない、数が無尽蔵なELSは言うなれば津波。
今回の戦闘シーンは津波に向かってひたすらビームを撃つ様をハイクオリティで描いたようなものでした。

それが悪いわけではないのですが、この戦場から名勝負は生まれませんね。



■ ELSとの和解
壮大な映像で展開されるELSの歴史は読み取ることが難しく、なんとか理解できるものの、はたして自分の理解で正しいのか不安になります。
頼むから言葉で語ってくれ、と言いたくなるところでティエリアがフォローを入れてくれて助かりました。

最後の花は、ELSが刹那の意識の中で相互理解の象徴だった花を読み取り、
その姿を取ることで人類へ敵意のなさを示そうとしたのではないか、と考えています。

エンドロール後のラストシーンを見た後は、シリーズ完結の余韻に浸るようなことは無く、
あれはどういうことだったのか、何が言いたかったのか、とあれこれと考えてしまいました。

人と感想を語り合ったり、より理解するために二回目を観に行ったりするタイプの作品ですね、これは。



■ ガンダム00とはなんだったのか
個人的な見解ですが、ガンダム00は「ガンダムという手段を使ってSF小説的な物語をやりたかった」のだと思います。
そう考えると政治の物語と群像劇だった第一期も納得でき、むしろまっとうなガンダムをやっていた第二期が異端に思えてきます。

この作品を受け入れられるかどうかの分岐点は、
「従来のガンダム」を求めるのではなく、「これはガンダムの皮を被ったSF小説なんだ」と頭を切り換えることが出来たかどうか
そこにあるのではないでしょうか。


自分は劇場版が “来るべき対話” をフィーチャーした段階で頭を切り換えることが出来ましたが、
最後まで「従来のガンダム」を求め続けた人が、怒りのままに腕を振り上げ「こんなものはガンダムじゃない!」と声高々に叫ぶ。
その気持ちも理解できます。

ガンダムを使ってSF小説をやるという試みは新しいと思いますし、嫌いではありませんが、
「ガンダムでやるべきだったのか」という疑問と「ファンが求めていたものとの乖離」という点もまた同時に感じます。


おもちゃを売るための販促でしかなかったロボットアニメで、ここまで自由にやらかせたということは快挙だと思います。
しかし、今回の映画を見てクアンタのプラモを買いに行こうと思わない、思えない点は失敗だとも思えます。


さて、00でこうなったガンダムは、次の新作でどういったものになるのでしょうか。
毎回言ってる気がしますが、願わくば富野御大が亡くなられる前にもう一度容赦のない富野ガンダムが見たいです。



(00を肯定しておきながら最後にこんな一文を書く自分は、やはり富野に魂を惹かれたオールドタイプなんだなぁ、と思う)
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